戦後80年石井柏亭 えがくよろこび
2025年10月11日(土)-12月7日(日)
2階 企画展示室
明治末から昭和期にかけて活躍した画家・石井柏亭。
東京に生まれた柏亭は、幼い頃から父・鼎湖に日本画を習い、16歳で洋画家・浅井忠に師事すると本格的に画家としての道を歩み始めます。太平洋画会や文展で早くから才能を認められ、やがて中央画壇の中心的存在として活躍。雑誌『方寸』の創刊や、二科会、一水会の設立にも携わり、日本の近代美術の発展に大きな足跡を残しました。
1945年3月、柏亭の姿は疎開先の松本にありました。東京大空襲により自宅とアトリエは全焼し、家財や作品など多くを失いますが、信州の雄大な自然に背を押され、絵筆を動かし続けます。さらに、若い画家たちへの指導や美術団体の結成にも力を注ぎ、戦後の信州美術の再興と発展に尽力しました。
柏亭が松本に疎開してから80年。本展では初期から晩年までの代表作に加え、信州ゆかりの作品・資料を通して、その多彩な画業と地方美術に向けたまなざしをご紹介します。
石井柏亭(1882-1958年)
東京出身の画家。本名・満吉。祖父は日本画家・鈴木鵞湖、父は日本画家で版画家の石井鼎湖、弟に彫刻家・石井鶴三をもつ。1895年、一家を支えるため大蔵省印刷局の彫版見習生となる。1898年、浅井忠に入門。1904年、東京美術学校西洋画科専科に入学するも眼病により中退。1914年の二科会創設や1936年の一水会結成の際は中心的役割を果たし、近代美術の発展に貢献した。油彩画のほか水彩画、版画、日本画にも優れ、歌人、詩人、批評家、教育者としても活躍。また、戦後は日展審査員、日本芸術院会員を歴任した。1945年に松本の浅間温泉に疎開し、その後、亡くなるまで同地を拠点に活動した。
